おがぶろ ★おがばあちゃん★…….第2話
みなさんこんにちは、マジェルカスタッフのおがです。
前回の第一話のブログを読んでくださってありがとうございます!
続きの今回は病棟での生活です。
おがの入院した時の話ですので、全部の病院がこうだということではありません。
治療を続けているみなさま、怖がらないでくださいね☆
★第2話★「精神科に入院するということ」
精神科病棟に入院したときは、車いすでした。
私が入ってきたフロアは、エレベータに鍵がついていました。
他に出入り口はありません。
窓には柵がついていました。
病室のベットにカーテンなどは一切なく、一目で部屋全部を見渡せるようになっていました。
それが私の入院した病院の「閉鎖病棟」でした。
絶対にそのフロアから、自分で出られないようになっています。
そこではたくさんの決まりがありました。
・携帯電話は没収。1日15分だけ決められた場所で、メールのみできる。
・普段は10円玉しか入らないピンクの公衆電話で家族に連絡する。
・面会は面会室で、家族のみとすることができる。
・差し入れに陶器、刃物等ないかチェックを通さなければいけない。
・食事は食事室で看護師さん立会いのもとでする。(病状によってはどれだけ食べたかチェックがある)
・洗濯機とシャワー室は予約制で使う。
・入浴できるお風呂は週に2回、看護師さん立会いのもとで入る。
その他書ききれない決まりがたくさんありました。
それらは、精神科へ入院した、精神を病んでしまった患者さんたちの命を守るための決まりでした。
もちろん、すべての精神科病棟がこうだというつもりはありません。
たまたま私の入った病棟が、そういう決まりのもとで治療をしていくところだったということです。
それが良いとか悪いとかも言うつもりもありません。
むしろそこでの治療で回復していく人たちと過ごしてきました。
ただ、ひとつ弱音をはくならば、そこでの生活はとても辛かったです。
前回もお話ししたように、絵を描くどころではなかったのですが、
少しでも気持ちを楽にしたかった。
絵を描こうと紙に向かうまではできました。
でも、何の線も引けなかったです。
何も描けませんでした。
そのうち、お医者さんから、
「あなたは症状に陥りやすいから、絵を描いてはいけません。日記も禁止です。」
と言われてしまいました。
うつ伏せでも世界を探検した私は、病棟以外のどこへも行けなくなってしまいました。
そんな私たちの唯一の楽しみは、外泊でした。
外泊許可がおりたら、家族のもとに少しの時間戻ることができる。
私はまわりの患者さんたちより許可がおりるまで多くの時間がかかりました。
一か月半を閉鎖病棟で過ごした私は、
病棟を出た時のその空の広さを実感して、
くらくらめまいがしました。
こんなに空って広かったっけ?
こんなに外って秋のにおいがしたっけ?
思わず泣きました。
外泊した私は家族と抱き合ってまた泣いて、おばあちゃんも涙を流して抱きしめてくれました。
つかの間の自由を感じ、夜を1回越えると、また病棟に戻るのが辛くて泣きます。
でも泣き続けるのを我慢して、病棟に戻って、荷物チェックを経て、自分のベットへと帰ってきます。
私の病棟は割と入院期間が短く、3~4か月くらいで退院する人が多かったです。
私はその病棟で7か月という期間を過ごしました。
しかし他の病棟では、1~2年くらいかかる棟や、
おそらく一生退院できないだろうという棟もありました。
とはいっても7か月。
夏の終わりから冬の終わりまでの病棟生活を経て、ようやく退院しました。
___________________________つづく。