きょうだい
突然ですがみなさん「きょうだい」って知ってますか?
え?読んでそのまま兄弟姉妹のことでしょ・・・
いや、違うんです。
京都大学?
いいえ。
もちろん仁義なき戦い的なのとも違います。
世間一般的には兄弟姉妹の事をあわせて“きょうだい"と呼びますね。とはいえ“兄弟”では
野郎だけじゃん、って事で最近では新聞などの表記でもひらがなで“きょうだい”って使わ
れる事が多くなっているそうです。
そういう広く一般的な呼称とは別に、この“きょうだい”って言葉は障害児・障害者の
兄弟姉妹の総称として使われているそうです。
実は私も今の仕事を始めて福祉界(って言葉も微妙ですが)の方々と繋がるようになるまで
は全く知りませんでした・・・
世間にはそんなきょうだいと呼ばれる人たちが集まって様々な活動や交流を行っている会
やグループもいくつかあるようです。
でも、そんなきょうだい ではない方々から見れば「きょうだいっていっても本人は障害が
無いんだから自分たちと同じで、特別区別するような立場ではないのでは?」って思うかも。
私も最初に知った時にはそう思ってなんとなく違和感を感じたのを覚えています。
私はこんな仕事をしていますから、知リたい!勉強したい!と思わずとも(笑)障害者に
様々な形で関わる色々な方と繋がる事が出来て多くの事を知ることもできたりするんです。
えぇ、素晴らしい方々もたくさんいます。
そんな中で、きょうだいとして精力的な活動をされている方々ともお近づきになり、
お付き合いを始めた最近になって、今自分がやっているマジェルカの仕事ときょうだい
である点について改めて考えるようになりました。
はい、そうなんです。
私もそんな“きょうだい”と呼ばれる一人だったんです。
(“だった”というのは、きょうだいと呼ばれる理由になる事実が過去形というのではなく、又、その事実そのものをまさか知らずに生活してきたわけでもなく、上に述べたように
自分の立場を指すきょうだいっていう呼称を知らなかったというだけです。)
私の中ではそれがマジェルカを始めるにあたっての第一の動機であるという認識は全く
ありません。
又、マジェルカという店が“障害者が作ったモノであるという点”を第一番の売りにしたり
そこしかアピール出来ないモノを扱わない考えであるのと同じように、また、だからこそ
私自身“をきょうだい”であることを積極的にアピールしたくはないという意識もどこかに
あったので、店ではあまり話さないでいました。
(かといってその事を恥ずかしいとか隠したいなどとはこれっぽちも思ってはいません。)
ただ、「何故この店を始めたんですか?」という質問をあまりにもたくさん頂くうちに、
ひねくれモノのアタシは「障がいのある家族がいるので。オヨヨ・・・」と言えばそれ以上
何も説明しなくても良くなりそうで楽チンかも。
なんて考える事もあります・・・(冗談です)
さて、話を戻して、マジェルカと、アタシがきょうだいである事の意味について考える
きっかけというのは、きょうだい研究(ってのがあるんですねぇ(@_@;))をされている方
から頂いたその研究内容に関する本を読んだから。
その方自身もきょうだいでありながら、研究なので当然といえばそうですが研究者としての
俯瞰的な立場で、それに加えて他ならぬきょうだいであるからこそ見える視点でまとめら
れた内容でした。(エラそうですみません・・・)
その内容を読んで前述した
「きょうだいって障害無いじゃん、きょうだいじゃない人と比べて特別な存在なの?」
というモヤモヤが少しスッキリ。
フムフム(-。-)y-゜゜゜って感じ。
どうやらきょうだいはある種特別な存在なようです。
他人はもとより家族の中でも親とも全くといっていい程違った存在なようです。
世間の中ではハンディキャップを持つ方に対しては優しさと思いやりを持って接するべき
というのが一般的な考え方ですよね。
きっとそうですよね?
んで、そういう世間一般の考えを持って大人になるまで生活してきた人がある時突然
障害者の家族になる。
というのが障害者の親の場合。
だから障害者の家族になるそれまでの人生で育まれてきたそういう考えがベースになっている。
でもきょうだいの場合は別。
障害を持つのが兄や姉ならその弟や妹きょうだいは生まれた時から、障害を持つのが弟や
妹ならその兄や姉きょうだいはものごころつく頃から障害者がいる生活を送るという事に
なる。
そして彼ら障害者が身近にいるのが当たり前の生活の中でそのきょうだいの人格や文化は
形づくられていく。
と・・・
ね、全然違うでしょ~!
考えてみりゃそうだよね。
人格形成される子供の時期からごく身近に障がい者がいるのとそうでないのでは彼ら
障がい者に対する見方、考え方も世間一般とは変わってくるのは当然。
細かな事はここでは述べませんが、私と母の、妹に対する考え方の違いから起きる様々な
やりとりは一種典型的でもあるみたい。
それもそういう事だったんだ~!
あくまでもパターンの一つで必ずしも障がい者のいる家庭の全てがそうではないという
前提ですし、すごく平たい言葉の使い方をさせてもらってるという前提で見てもらいたい
のですが、親などは彼ら障害のある子に対しては「保護するべき、又はされるべき対象」
と見がちなのに対して
きょうだいの場合は「その個人を重視する」場合も多いようです。
これはまぁ立場の違いやそれぞれの思惑もあるでしょう。
また、親は「彼らは出来ないんだからやってあげる」的なのに対して
きょうだいは「彼らでも出来る事は自分でやらせるべき」的な考えを持つ傾向が強いよう。
それはある意味障害の無い自分達と障害のある彼ら彼女らを同じとまでは言わないまでも
最も近いラインに乗せて考える(考えられる)タイプの人間がきょうだいという存在と
言えるのではないかというのがアタシが考えた結論。
そしてもう一つ自然と辿り着いたのが、自分自身がきょうだいであって、彼ら障害者自身
をどうにかしてあげたい、守ってあげたいというような上の立場に立った考え方ではない
から今のマジェルカのようなタイプの店を始めたのではないか、という考え。
今まで私のブログを読んだりお話を聞いて下さった方はお分かりだと思いますが、
福祉施設製品だけの雑貨屋をはじめたのは「障害者の支援をしたいんだっ!」とか
「これじゃ障害者が気の毒じゃないかっ!」ていう思いありきのスタートじゃない。
彼ら障害者の弱さや気の毒さをアピールしてそこに乗っかるのではなくて彼ら(が作るモノ)
の面白さや素敵さをアピールしたいっていう思いから。
っていうと頬を赤くしてお目目がウルウルキラキラしてる感じだけど
もっと言っちゃえば「きっと世間でウケんのにもったいねぇなぁ・・・」( ̄ー+ ̄)キラリ
そして
「オイオイな~にやってんだよ」(-。-)y-゜゜゜
って感じ。
そう、障害者(の作るモノ)は魅力あるのに、何を守りたいのか大事に大事に囲い込んで
多くの人には知られにくい状況。
誰の為なのか「これらは障害者の作ったモノなの。だ・か・ら・買ってね、ウフ♡」
としなけりゃ買ってもらえないと思っている現実。
そんな当事者を取り巻く周囲のやり方に「な~にやってんだよっ」
とね。
そんな世間の常識とはちと離れたちょっと特殊な世界にあるモノを、世間一般の土俵に
乗せたり比べたりしたがるのは、やっぱり私がきょうだいだからなのかな・・・
と思ったりするのです。
「障害者の支援に関わっているわりにクール」って様な事言われた事もありますが、
(この場合のクールは「かっこいい」じゃなくて「冷たい」とか「冷めてる」方ね)
障害者の為に頑張ってますって大声あげりゃぁ一部の筋に受けるかもしれないけど
オイラのセンスが許さねぇ。
こんなところはきょうだいとして育つうちにちょっと世間を斜めに見るひねくれた部分
だったりして?
え?ひねくれたのまできょうだいであるせいにすんなって?
それはさておき、
マジェルカを始めてこれだけはますますはっきりと言えるようになったのは
障害者は周りから与えられるだけの存在ではなくて与える事も出来る存在でもある。
他の多くの人と同じように。
という事。
そしてその価値と意味を、彼ら障害者を支援する施設や支援者自体が認識して、内に
抱え込むのではなく積極的に外に発信していってほしいと思っています。
そしてもっと世間に知られる事で彼や彼女らにとって、そして他の人にとっても
きっと今よりも良い社会になるのかなと。。。
福岡の「工房まる」から時計が入荷。
マジェルカ初お目見えです。
文字は一つ一つ金属板を叩いて作られてるという代物です♪
※お知らせ
9/19(水)は13:00頃のオープンとなります。(多少前後するかもしれません)
よろしくお願い致します。